
こんにちは!
仙台市太白区の若手税理士、髙橋拓人です。
今回は「山元町震災遺構 中浜小学校」を見学した話です。
先日の休暇で、
宮城県山元町にある「山元町震災遺構 中浜小学校」を訪れました。
今回で2回目の訪問になります。
ここは東日本大震災で津波の被害を受けた小学校の校舎が、
そのままの姿で保存されている場所です。
震災遺構として残る中浜小学校
中浜小学校は、津波に飲み込まれながらも、避難した全員が無事助かった奇跡の場所として知られています。
校舎の2階まで津波が押し寄せたものの、
当時の先生方や地域の方々の判断で屋上に避難したことで、
児童や教職員、地域住民を含めた全員が救われました。
また、ここには私の父が定年退職後にガイドとして働いていることもあり、
震災を伝える場として特別な思いがあります。
親友を失った場所でもある
この小学校のすぐ裏には、
私の幼稚園以来の親友の家がありました。
彼は震災当日、職場から帰宅命令を受け、
自宅に戻る途中で津波に飲み込まれ、亡くなってしまいました。
もし、小学校に逃げていたら助かったかもしれない。
そう思うと、今でも悔しくてたまりません。
14年が経ち、私は税理士として地元に戻った
あれから約14年が経ちました。
私は地元を離れ、東京で修行を積み、
税理士となって仙台に戻ってきました。
もし彼が生きていたら、どんな14年を共に過ごしていたのだろう。
お互いの近況を語り合うことができたのだろうか。
そんなことを考えると、悔しさがこみ上げてきます。
でも、だからこそ、
生き残った私たちは前を向いて生きていかなければならないと強く思います。
震災遺構を訪れるたびに、その思いを新たにし、
これからも地元のためにできることを考え続けていきたいと思います。